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2024年3月19日 (火)

エリック・カルメン あなたがいたから

2024年3月11日月曜日に多くのウェブメディアでエリック・カルメンの訃報が報じられました。

 公式サイト/SNSによると、その前の週末に就寝中(あるいは眠るように)、永眠されたとのこと。その時点で正確な日にちと死因は明らかにされていません。

 1949年8月オハイオ州クリーヴランド生まれ。地元でのアマチュア/セミプロ・バンドでの活動を経て、ラズベリーズを率い72年「ゴー・オール・ザ・ウェイ」のヒットでシーンに登場。パワー・ポップの源流とされました。バンド解散と共にソロに転じ、『サンライズ』からの名ピアノ・バラード「オール・バイ・マイセルフ」が全米2位となり、私のような後追いファンを数多く生んでいます。また、80年代には番組でも紹介しているように映画『フットルース』に提供しマイク・レノとアン・ウィルソンに歌われた愛のテーマ「パラダイス」、さらに映画『ダーティ・ダンシング』から自ら歌った「ハングリー・アイズ」で復活。98年の『愛の面影』まで計6作のアルバムを残し、2000年代にはリンゴ・スターのオールスター・バンドへの参加やラズベリーズのライヴ活動による再結成も実現しています。「オール・バイ・マイセルフ」がセリーヌ・ディオンにカヴァーされ、映画『ブリジット・ジョーンズの日記』でジェイミー・オニールによる吹き替えで用いられ、2014年には映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』で「ゴー・オール・ザ・ウェイ」が高らかに流れるなど、エリックの作家性の高さや普遍的なポップロック・アーティストとしての才能が再認識されました。

 私は『全米トップ40』のアシスタントとして2年目だった1979年11月に音楽祭のゲストとして来日したエリックにインタビューし、素人同然の出来の悪い仕事をしています。大きな幸運は18年後にもう1度会えて、今度は一応納得のできる取材になりました。そこで得られた彼の言葉は生涯忘れられないものです。長きにわたって音楽のキャリアを続けられたのはなぜ?という問いへー”ほかの道を考えることなんかできなかったからさ。どんな状況になったときも、音楽を好きな気持ちだけは変わらなかったんだ”    これら取材に関して9年ほど前にエッセイを書いています。ワード<矢口清治><エリック・カルメンのころ>あたりで見つけてもらえると嬉しいです。

 人生のある時期を家族や親しい友人、あるいは片思いの相手や恋人とのような大切な時間を、その音楽と重ね合わせていたーだからこそアーティストそのものがかけがえのない存在として記憶に刻み込まれている、それが私にとってのエリック・カルメンです。

 2016年に結婚しエリックと日々を過ごしてきた妻エイミーさんは、別れを伝えたコメントで綴っています。

 ”何十年も自分の音楽がたくさんの人たちの心に届き、ずっと愛されるものになるなんて本当に嬉しいと、エリックは感じていました。

   愛は何より大切 揺るぐことなく永遠に続くもの”

  最後の一行はこの曲の歌詞からです。アルバム『雄々しき翼 BOATS AGAINST THE CURRENT』より

      Love Is All That Matters 恋のすべて

     

     エリックに心から、どうもありがとう。

                  2024年3月18日  記  矢口清治

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