追悼 オリビア ーその、透きとおった歌声にー
2022年8月8日、
オリビア・ニュートン・ジョンさんが
カリフォルニアにて永眠されました。
73歳でした。
1970年代から1980年代に、
ラジオ番組『全米トップ40』を通じて
アメリカのヒット曲に接してきた者の多くにとって、
その時々にいつもそばにあり
慣れ親しみ耳に触れるだけで自然なやすらぎと
ささやかな高揚感を抱かせてくれた
女性ヴォーカリストのひとり、
それがオリビアだったように思います。
英国ケンブリッジに生まれ
5歳でオーストラリアに移り住み、
10代半ばで音楽活動を開始すると、
64年にコンテスト優勝を機に帰英し、
最初のシングルを発表したのが66年。
親友パット・キャロル
(後のジョン・ファーラー夫人)との
”パット&オリビア”として、
あるいはシャドウズのセッションや、
大物プロデューサー=ドン・カーシュナーが仕掛けた
映画『トゥモロー』への出演といった
いわば下積みを経て、
71年の「イフ・ノット・フォー・ユー」から
いよいよスターへの道のりを歩み出します。
私が毎週欠かさず『全米トップ40』を
聴き始めたのが75年からでしたので、
それ以前のヒットは後追いで耳にし、
当初のオリビアがカントリー・ミュージックを
背景のひとつとして
かの地で人気を得たことを「レット・ミー・ビー・ゼア」
「愛しい貴方」の曲調を通じて知り、
ボブ・ディラン作品「イフ・ノット・フォー・ユー」にしても
スティール・ギターの音色が
ジョージ・ハリスン版を手本にしていることから
スワンプ・ミュージックにも通じる
アーシー(土着的)な味わいに納得したことを覚えています。
74年の「愛の告白」が全米1位となりグラミーも獲得した後、
よりアダルト・コンテンポラリー的な
洗練されたイメージを強めたころ、
私がリアル・タイムで出会った大ヒットが
「そよ風の誘惑」でした。
初めて訪れたのが72年の
クリフ・リチャードのバック・シンガーとしてだった、
ここ日本においても、
76年には単独ツアーが実現する人気を確立します。
『クリアリー・ラヴ』(75年)、『水の中の妖精』(76年)、
『たそがれの恋』(76年)ら充実した作品群は
安定と同時にいささかの停滞期を感じさせたものの、
ディスコ・ブームもある意味追い風に
78年の主演映画『グリース』から、
よりアクティヴなイメージを打ち出し、
映像によるアピールの比重が増す時代を迎えると
やはり主演映画『ザナドゥ』(80年)、
そして80年代のハイパーなダンス・サウンドを先駆けた
「フィジカル」(81年)によって
スーパー・スターとしての地位を不動のものにしました。
こうして振り返ると、
オリビアの成長と時代の変化とが見事に符合し、
ポップスの歴史が望んだ歌姫が
オリビアだったように思えてなりません。
私生活では85年(『ザナドゥ』で出会った)俳優
マット・ラタンジーとの結婚で愛娘クロエをもうけ、
95年に離婚、
05年恋人パトリック・マクダーモット氏が
謎の失踪(後に生存確認)などがあり、
08年にジョーイ・イースタリング氏と再婚しています。
89年に国連環境親善大使に就任したオリビアは、
90年代以降の創作活動において表現者としてさらに深みが増し、
92年に自身の乳がんを公表してから、
世界がより住みよくなり、
人と人とがさらにわかり合える社会の実現をテーマとして意識し
癌撲滅・環境保全などチャリティー活動にも邁進します。
自然環境問題といえば、
日本との関わりでもイルカ騒動がありました。
78年に長崎県の漁業関係の人たちによる
イルカ駆除(養殖ハマチを守るため)に対し世界から非難が湧き、
オリビアとヘレン・レディが日本公演拒否を表明した件。
日本からの反論・検証もあり、
結果、互いの情報の理解に不備があったとわかり、
その年10月には無事来日コンサートが実現しています。
その後もオリビアは、より成熟し説得力に満ちた
ヴォーカリストとして『GAIA-新たなる旅立ち』(94年)、
『ストロンガー・ザン・ビフォアー』(05年)といった
佳作を発表してきました。
訃報に添えられた家族の声明には
”オリビアは30年以上におよぶ乳がんとの戦いにおいて、
勝利と希望のシンボルとなった”
とあります。
オリビアの存在がどれほど多くの人たちを勇気づけ、
生きることのすばらしさをもう1度思い起こさせたか、
それは想像に難くありません。
私がポップスのファンとして、
最も忘れられないオリビアのヒットを
ひとつだけ挙げるとすると、
この曲になります。
1975年の3月にその魔法は起こりました。
高校に入学して週7日間卓球部と、
ラジオにのめり込んでいたころ、
土曜日に部活が休みだったことから昼間にFENで聴けた
その日の『AMERICAN TOP 40』(つまり3月8日付)で
第1位に輝いたオリビアの歌声は、
私が洋楽を終生の友達とするきっかけとなった
カーペンターズの「シング」同様の、
あまりに特別な響きを以って心に届き、
説明のできない感動が胸の奥から湧き上がったのでした
(それは2週後にフランキー・ヴァリの「瞳の面影」でも
繰り返されるわけですが)。
ディスク・ジョッキーという職業に就いてから、
何度その曲を担当するラジオ・ショーで
紹介してきたかわかりません。
しかし、”Have You Never Been Mellow”とタイトルを伝え、
リスナーと一緒にもう1度、
その歌声をメロディーをリズムを耳にする度に、
必ずあの日のときめきがよみがえります。
それが「そよ風の誘惑」です。
”歌うことが私のすべて。
15歳からずっと、それしかしてこなかったから、それが私の人生。
今もそれができて、みんなが私に会いに来てくれることを
とてもありがたく感じている”
ー2017年にニュース・チャンネルCNNで
彼女が述べたとされる言葉です。
でもオリビア、もしかしたらあなたと同じか
それ以上に私たちは今、感じています。
その、透きとおった歌声に、心からありがとう、と。
2022年8月11日 記 矢口清治
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