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2021年4月30日 (金)

追悼: ジム・スタインマン 並外れた異才を惜しむ

 1978年に全米トップ40でも第11位まで上昇した
ミートローフの最初のヒット「66%の誘惑」は、
私の心を鷲掴みにし、
当初国内発売が未定だったので
たまたまアメリカに出張に行く父親に、
「Two Out Of Three Ain’t Bad」というシングル盤を
お土産として依頼しました。

父は同僚に私のメモを託して
レコード店に行ってもらったのでしょう。
買ってきてくれたのが、その曲が収められていた
LP『BAT OUT OF HELL』。

私とジム・スタインマンとの出会いでした。
プロデューサーがトッド・ラングレンで、
トッドのユートピアやブルース・スプリングスティーンの
E.ストリート・バンドのメンバーが参加という
大好物要素に加えて、
何よりもそこに展開されていた
あまりに壮大で極端にドラマティックな音世界の
凄まじい完成度に圧倒されました。
ハード・ロック、
あるいはプログレッシヴ・ロック的であるのと共に
歌劇/オペラのスタイルを持ち込んだ大変な意欲作でした。

ロック・オペラはザ・フーの『トミー』を筆頭に
名作が遺されてきました。
それらに歴史上の傑作として触れた印象とは違い、
ヒット曲の潮流がディスコ一辺倒に近い
当時の状況で突如遭遇した、
流行も傾向も吹き飛ばしたような創造性と芸術性に満ち、
同時に大衆的な娯楽性と充実度に溢れていた傑作
ーそれが『BAT OUT OF HELL』、
邦題『地獄のロック・ライダー』でした。

そもそも『ピーター・パン』が題材の舞台作品として
原案を練りすべての収録曲でペンを執ったのが、
ジム・スタインマンだったのです。

その1作に夢中になった私は、
続くスタインマンのソロ作品
『楽園への翼<バッド・フォー・グッド>』にも
のめり込みました。

そこからの「ロックンロール・ドリーム」は、
私に大きな影響を与えています。

『地獄のロック・ライダー』は
全世界での総セールスが歴代第5位という
恐ろしい成功を収め、
それに伴うようにスタインマンと
ミートローフの関係は
軋轢と邂逅を繰り返す微妙なものとなりました。

ただ
”ミートローフというプロジェクトを支えたのが彼らふたり”、
というのが私の認識で、それは終生変わらなかったと思います。


 彼らは後に続編
『地獄のロック・ライダーII~地獄への帰還』を世に送り、
またスタインマンはボニー・タイラー、セリーヌ・ディオン、
バリー・マニロウ、エア・サプライといった
多彩なスターたちに彼ならではのスタイルを貫きながら、
それぞれの新境地を拓くヒット作を産み出しています。


 ジム・スタインマンが、
腎不全で73歳で2021年4月20日に永眠したことが
伝えられました。
報じられた追悼の辞を抄出すると

ー”信じがたい才能のプロデューサーでソングライター。
ジムとの仕事は本当に特別な経験でした”<セリーヌ・ディオン>、

”ジムが書き制作した、ロックの歴史においても
最も象徴的な作品のいくつかをいっしょにやれたのは
大変な特権でした。
真の天才であり、おもしろくって親切で、
人を思いやる人物でした。
いてくれたこと、その仕事によって世界は素敵な場所になったのに、
そんな彼を失うなんて.. 出会えたことにありがとう。
安らかに、私の友達”<ボニー・タイラー>、

そして、
” どこへ行ったんだ、そばにいてくれよ、兄弟 “と記し、
さらにスタインマンが作品で<翼>をモチーフにしたことからか
”翔べ、ジミー、翔んでいけ”と、ミートローフは綴っています。


 そのシンフォニックで演劇的な作風によって、
かつてロックン・ロールのワグナーと評された
フィル・スペクターにも通じる異能の才を発揮した稀有の人物が
ジム・スタインマンでした。

いくつもの生涯忘れることのできない表現作品を遺してれたことを、
私は忘れません。



           2021年4月26日 記 矢口清治

 

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