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2019年9月17日 (火)

just what I needed リック・オケイセック(カーズ)の死を悼む 

エディ・マネーの訃報の2日後、
2019年9月15日に、カーズのリック・オケイセックさんが、
ニューヨーク・マンハッタンの自宅で亡くなっているのを
発見されました。
死因は肺気腫により悪化した心臓疾患とされています。
75歳でした。
 リック・オケイセックは、49年3月23日
メリーランド州ボルチモア生まれ。
NASAのコンピューター技師を父に持ち10歳で
ギターを弾き始めた彼は、
16歳でオハイオ州クリーヴランドに移り住み、
ハイ・スクールを卒業するとアンティオケ・カレッジ、
そしてトレド近くのボウリング・グリーン州立大学に進学するも
卒業前にドロップアウトしました。
70年にベン・オールとの出会いからボストンに向かい、
いくつかのバンドを経て固まったグレッグ・ホークス、
エリオット・イーストン、デイヴ・ロビンソンの陣容で
76年からカーズを名乗り、
まだデモ・テープだった「燃える欲望」が
ボストンのラジオ=WBCNで好評を得たのをきっかけに
エレクトロラ・レコードと契約を結んで本格的デビューを果たします。
私のカーズとの出会いは、
エディ・マネーの「ベイビー・ホールド・オン」同様、
78年8月に全米トップ40に入ってきた「燃える欲望」でした。
あまりに鮮烈なギターのイントロにヤラれ、
ドラムの独特なタイム感と珍妙なシンセの音色が
神経を蝕むように染み込み、
”ああ、好きなバンドだこれ”とすぐわかりました。
リックはクセのあるヴォーカル・スタイルもあって、
ややエキセントリックなイメージをまとい、
二枚目のベン・オールと並びバンドの看板的キャラクターでも
ありましたよね。
また坂井隆夫さんが番組内で猛プッッシュされ、
”僕のカーズ”とまでおっしゃっていたのも、
私を彼らのファンへと駆り立てました。
第3作『パノラマ』でやや難しい雰囲気になったのを、
続く『ハートビート・シティ』からの粒ぞろいの
シングル・ヒットでアルバムを記録的セールスに導き、
9回の満塁ホームランを眺めるような気分にしてくれた
外さないバンド、それがカーズでした。
2012年に彼らのカタログの国内再発売に少々関わった際、
資料を調べ直して彼らの足跡を辿れたのも幸運な機会でした。
 あらためてカーズの魅力を振り返ると、
ロックが60年代のアメリカの若者にとって
社会との向き合い方に大きな変化と影響を与えた側面を継承し、
ちゃんとポップでありながら革新的であることの気風や
気概を作品の中に息づかせていたバンドであり、
どのアルバムにも脈打つモダンな佇まいはとにかくヒップで、
惚れ惚れとさせられたのに気づきます。
そんなところはきっと90年代以降にも、
”バンドとしてのロック”をやろうとする連中に継承されたはずで、
訃報に接し追悼の意を寄せた、(リックがプロデュースを手がけた)
ウィーザーなどの面々の顔ぶれからもうかがえます。
 この先もずっと、リック・オケイセックのカーズを
忘れることはありません。
                              
              2019年9月17日 記  矢口清治  

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