ジョージ・マイケル訃報に寄せて
中学生で大瀧詠一さんの『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の
常連リスナーとなり、
全米トップ40にも頻繁に投稿していたラジオ・ネーム=
ブライアン・ウィルキンソンという男と、
私は80年代前半の一時期仕事仲間として
よくいっしょに過ごしていました。
彼の洋楽に関する知識とセンスは友人の中でも図抜けていて、
マドンナを「バーニング・アップ」の時点で高く評価していたのをよく憶えています。
そのウィルキンソン氏はニュー・ウェイヴに鋭い鑑識眼を発揮し、
イギリスものにも精通していました。
「ヤング・ガンズ」でワム!に目を付けたのも彼でした。
まだ未知数のアイドル・ポップくらいにしか
理解していなかった私も、
ウィルキンソン氏が認めるならと、ちょっと真剣に耳を傾け、
デビュー作『ファンタスティック』の若さに似合わぬ完成度に
ようやく気づいた次第でした。
その彼らが、日本でスターになり、『メイク・イット・ビッグ』でアメリカをも制覇するに至って、
友人のセンスに頼ったとは言え、してやったりの気分でした。
ただ、ジョージ・マイケルがアイドルとしての頂点を極めると
あっさりワム!に幕を引き、
『FAITH』でさらに別次元の表現者として
破格の成功を収めたのは、私の予想を軽く超えていました。
「FAITH」の日本盤アナログ・シングルの解説は
私が担当しています。
また、ワム!の『THE FINAL』のアナログLPで
ヒストリー原稿も書きました(CD化の際に省かれましたが)。
そんな風に、忘れることのできないビッグ・スターになった
ジョージ・マイケルも、あまりに大きなセールス規模が
負担になってしまったのか、後年はアーティストとして
苦悩の時期を長く過ごしました。
96年の『オールダー』の国内盤解説を手掛けた際に、
才覚の変わらぬ凄まじさと同時に悩みの深さを
より身近に感じたものでした。
14年の、大変充実していたライヴ録音作品『SYMPHONICA』の
国内盤発売が見送られたのにはがっかりしました。
このままで終わることはないと思っていただけに、
あまりにも残念です。
ブリティッシュ・アクト特有のR&Bへの本能的な理解を
コンテンポラリーなポップ・ミュージックとして
徹底的に咀嚼して新たな魅力を生み出し、
キラキラとした華やかなアイドル像を描き出し、
ひとりの人間としての苦しみを作品の中に映し出し続けた天才。
ジョージ・マイケルと同じ時代に生きた幸運を、
私は忘れないでしょう。
2016年12月26日 記 矢口清治
ジョージ・マイケル
2016年12月25日、南オクスフォードシャーのゴリンズ・オン・テムズの自宅にて心臓発作のため死去。53歳。63年6月25日ロンドンのイーストフィンチリー生まれ。エグゼクティヴを経て、アンドリュー・リッジリーとのワム!による「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「ケアレス・ウィスパー」「ラスト・クリスマス」などの大ヒットで80年代を代表するスターに。86年、デュオ解消後、ソロに転向しさらに果敢に音楽性を拡げ、希代のポップ・アーティストとして成功。87年の『FAITH』からは4曲の全米No.1が生まれ、12週全米第1位、1000万枚を突破するセールスを記録。グラミー最優秀アルバムも獲得。
90年のセカンド・アルバム『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL.1』の25周年記念盤(2017年3月発表予定)についての情報が、9月に届けられていた。
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