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2016年4月24日 (日)

追悼 プリンス

 Img_3757 プリンスの曲に接したのは、『全米トップ40』に「ウォナ・ビー・ユア・ラヴァー」が

チャート・インしてきたときのことで、
79年12月8日付けで前週の第76位から第40位に入ったのが初めてでした。
出会いは大切なもの。その曲のポップで軽快なスタイルは極めて心地よく、
若く才能あるニュー・アーティストだと感じました。
マイケル・ジャクソンやマドンナと同様1958年生まれのプリンスたちは、
59年生まれの自分にとってまさしく同世代のポップ・ミュージックの重要な担い手であり、
ついにそんな時代が来たのだと思ったのも憶えています。
あまりに過剰な表現欲求ゆえに、様々な角度で異端視されたプリンスでしたが、
『1999』で殻をぶち破り、一般的な音楽ファンと結びつく存在になると、
あとは時間の問題。
84年の『パープル・レイン』以降、授かった感性の閃きすべてを創造に注ぎ込み、
1980年代から2010年代までを駆け抜けました。  
”そうしていなければ、生きていられなかった”ー90年代に音楽誌にプリンスに関する文章を
書いたときに参考にしたあるインタビュー記事で、強く印象に残った言葉です。
高い質の作品をすごいペースで生んでいた時期に、
なぜそんなことが可能なのかという問いに答えたものでした。
創造とは、真の表現者にとって生命を紡ぐ手段なのかー私はようやく、
プリンスがなぜ特別なのか解った気がしました。
また、人間にとっての自由は、何にも代え難い価値があり、
自分が何からも自由な存在であるからこそ人生には生きる意味が生まれるということを、
プリンスはいつも訴えていることも。
その通じ合う意識の点で、マドンナとプリンスは魂の同志でした。
プリンスの作品は、生命を謳歌する歓びに貫かれていて耳にする者の心を揺さぶりました。
1986年9月、「パープル・レイン」の演奏とほぼ同時に雨が降り始めた横浜スタジアムでの
初来日公演以降、東京ドーム、日本武道館、横浜アリーナと可能な限りのステージを観て、
そのいずれにも肉体と情感のありったけをさらけ出し、
一瞬の価値を伝えようとする神々しいまでのアーティスト・スピリットを
多くの人々と分かち合いました。  
私は、感謝しています。                   
 2016年4月22日 記 矢口清治

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